普段私たちが当たり前のように摂っている食事。しかし噛む力や飲み込む力の低下などの変化をともなう高齢者の方々にとっては、「食べる」という行為自体が負担となり、結果として食欲低下を招くことがあります。栄養不足は病気やケガの原因となり、介護が必要となるケースも少なくありません。
将来の要介護を防ぐために必要なのは、高齢者自身から「食べるチカラ」を引き出すこと。そこで今回は、「五感の刺激」を通じて食欲を刺激する工夫についてお話をさせていただきます。
□噛みづらい、むせる… 食欲低下につながるからだのサインに気づこう
□要介護のリスクをともなう食欲低下
□高齢者の食べるチカラを無理なく引き出すには
□高齢者の食欲を引き出すカギは「五感の刺激」
・五感を刺激するメリット
・五感を刺激する具体的な方法
□さいごに
噛みづらい、むせる… 食欲低下につながるからだのサインに気づこう
歳を重ねるにつれて起こりやすい「食欲低下」。その要因はさまざまですが、多くの理由のひとつとして挙げられるのが、食事に必要な身体機能の衰えです。
例えば、今まで食べることができていたお肉が硬くて噛めなくなったり、いつもと同じ味付けなのに「薄味だな」といった感想が多くなったりしている場合は、咀嚼力や味覚の低下が疑われます。このような「ちょっとした変化」は、食欲低下につながるサインでもあります。なかには気付きにくいものもあるため、自宅や施設での食生活のなかで気にかけてあげることが大切です。
やわらかいものを好むようになった ➡ 噛む力が弱くなってきた
食事のときにむせることが増えた ➡ 飲み込みにくくなってきた
汁気のものがないと食べにくい ➡ だ液が少なくなってきた
濃い味を好むようになってきた ➡ 味覚が低下してきた
一日の水分摂取量が減ってきた ➡ 脱水・便秘になりやすい
胃もたれなど不快感を訴えるようになった ➡ 消化吸収力が低下してきた
要介護のリスクをともなう食欲低下
高齢者の食欲低下は、こころとからだの両面にさまざまな影響をもたらします。食欲が減ると健康を維持するために必要な栄養素やエネルギーが十分に摂れない状態、つまり低栄養状態を生み出すリスクが高まります。
低栄養状態が続くと、骨がもろくなる、感染症にかかりやすくなる、食事とあわせて摂っていた水分が減り脱水症状になるといった状況を招き、最終的には介護を必要とする場合もあります。年を重ねても健やかな状態を保つために、食事を摂り続けることはとても大切なことなのです。
高齢者の食べるチカラを無理なく引き出すには
とは言っても、からだの機能が低下しはじめた高齢者にとっては、食事を摂ること自体にも多くのエネルギーを要します。食事量の変化を目の当たりにするご家族や施設の方は、「食べてほしい」という思いからさまざまな工夫をされると思います。
ところがその思いが高齢者に過度に伝わりすぎると、「用意してもらったのに食べられないのが申し訳ない」といった罪悪感から、かえってストレスを与えてしまうことも。高齢者を想う行動が、かえって負担を与えることになりうるというのは、とても歯がゆく、つらい状況です。
低下した身体機能に合わせた食事を提供しつつ、食べる意欲を本人から引き出すためにはどうすればいいのか。その工夫として今回ご紹介したいのが、高齢者の「五感」を刺激するという方法です。
高齢者の食欲を引き出すカギは「五感の刺激」
■五感を刺激するメリット
食事のおいしさを左右する要素として、「人的要因」と「食べ物的要因」の大きく2つが挙げられます。人的要因とは、健康状態や空腹感に関わる「体調」、どこで誰と食べるかといった「環境」、楽しさや喜びなどの「感情」、過去においしいと感じた「経験(習慣)」の4つを指します。
食べ物的要因とは、人間が日々の暮らしから情報を得るために欠かせない五感(「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」)によるものです。特に五感については、食事の見た目や匂い、食感など、ちょっとした工夫で食欲を刺激する効果があるため、低下しはじめた高齢者の食べるチカラを引き出すためにぜひ試していただきたい方法です。
■五感を刺激する具体的な方法
次に、それぞれの五感を刺激する効果と具体的な工夫をご紹介していきたいと思います。
五感の刺激①「視覚」―色合いや器の工夫でいつもとは違う食卓の演出を
人が目の前の食事を「おいしそうだ」と感じる際、8割が視覚で判断されるといわれています。口にすることでおいしさを感じることはもちろんですが、食べる前の判断材料としては、視覚が重要な役割を担っているのです。例えば食事の色合い。できるだけ単色にならないように、赤・黄・緑を組み合わせた盛り付けにすることで、見た目をぱっと華やかにします。
カラフルな食材を添えることが難しい場合は、食事以外の要素(器やランチョンマット、テーブルクロスなど)で視覚に変化をもたせるのが良いでしょう。そのほかには、温度を感じる質感(湯気など)や照り感、ツヤといったシズル感を出すことでも工夫できます。
実際の経験として、丼ぶりをお重に変える、ランチョンマットの色合いを変えてみるなどの変化を演出したことで、特別メニュー感が出た!と喜んでいただいたことがあります。
五感の刺激②「聴覚」-食事を想像させる調理の音や、リラックスできる音楽を
人が耳にする「音」には、こころとからだの状態を左右する力があります。高齢者の食事の際におすすめしたいのは「調理の音」と「気分が落ち着く音楽」です。
包丁で食材を切る音やフライパンでジューと焼く音は、「今日の料理はなんだろうか」と想像力を掻き立て、食欲を刺激する効果があります。また、食事中にはクラシックなどの落ち着いた音楽を流すことで、リラックス効果やだ液分泌の促進、血圧や心拍を安定させるといった効果があるとされています。
一方、大きなボリュームで流れるテレビ番組などは、食事中の集中力低下を招きます。突然流れてくる大きな声などによって食事を喉に詰めないか心配になることもあるので、気を付けていただきたいポイントです。
五感の刺激③「嗅覚」―過去に食べたおいしい食事の記憶を呼び覚ます
ある匂いをきっかけに、昔の記憶がよみがえってきた…という経験はありませんか?匂いの情報を処理する脳の部位は、記憶と感情の両者も司っています。そのため、特定の匂いを通じて過去の記憶や感情が呼び覚まされるという現象が起きることがあります。
以前とある介護施設の食事準備をしている際に、高齢者の方から「今日は何のご飯?」とすすんで尋ねられたことがありました。おそらく調理中の出汁をひく匂いが、おいしい料理の想像をかきたてたのかもしれません。だし汁の香り以外にも、しょう油の香ばしいにおい、肉を焼いたときの匂いなどは、過去に食べた美味しい食事の記憶をよみがえらせる効果があります。調理中にキッチンから漂ってくる匂いによって「おいしい食事」を想像でき、食欲を刺激することができます。
五感の刺激④―“うま味”で食べたい気持ちを刺激する
食べたものに対して「おいしい」と感じるために重要なもの、それは「だ液」です。人は、ただ食事しただけではおいしさを感じることはできません。口にしたものを咀嚼することで味の分子がだ液に溶け、細胞(味蕾細胞)がその分子を受容し、脳へ送られることで味覚を感じるという仕組みです。
ところが、高齢になるにつれてだ液の分泌は低下しやすくなるため、結果として味覚障害を招くことがあります。そこでおすすめなのが、食事の一番はじめに「汁物」を口にすること。昆布だしなどを使った汁物には「うま味」成分が多く含まれています。うま味にはだ液の分泌を促す効果があるため、口から喉に広がる出汁が食欲を誘うきっかけとなります。
五感の刺激⑤「触覚(食感)」―適度な噛み応えがおいしさを届ける
食欲を刺激する要素として、食感も重要な役割を果たします。歯茎の間にある歯根膜(しこんまく)という組織が、噛みごたえや歯ごたえという物理的な刺激を受け取ると、それを脳に伝えて「おいしい」と判断します。
例えば、おせんべいは湿気を帯びてやわらかくなっているものよりも、パリパリ・カリカリといった食感の方がおいしく感じられると思います。高齢者の方への食事においても、歯の力に合わせた適度な歯ごたえをつくることが、食欲刺激のひとつになります。
さいごに
今回は、低下しがちな高齢者の食べるチカラを引き出すために、五感を刺激するという工夫をお伝えしました。高齢者の「食べよう」という気持ちを支えるためには、栄養バランスを整えたり、食べやすい調理方法や味、あるいは盛り付けを工夫したりするなど、さまざまな要素を組み合わせることがポイントとなります。それらをうまく活用して、低下しつつある機能をサポートできればと思うのです。いつまでも食事をおいしく、楽しく食べることができるように、健やかな食事生活を目指しましょう。